万人が良しとする大義名分があるか?
自分の利益や打算が優先されていないか?
人を利用することを考えていないか?
自分のやっている仕事は、誰の何の為の仕事か?
それをやっていて楽しいか?
再考する。
何でも考えておくと後が楽。
Wandering Photographer
万人が良しとする大義名分があるか?
自分の利益や打算が優先されていないか?
人を利用することを考えていないか?
自分のやっている仕事は、誰の何の為の仕事か?
それをやっていて楽しいか?
再考する。
何でも考えておくと後が楽。
承認欲求がない。なくなったという方が正しいのか。いいねと言われても、自分で納得してなければ満たされないのを分かっているから、評価を気にして表現することもモノを作ることがない。
できなかったことができるようになった、成長した、いいもモノが生まれた、あの全身で感じる幸福感さえあれば十分で、結果的に人が喜んでくれる連鎖が続く。
お腹いっぱい食べる必要も、着飾る必要も、カッコつける必要も、必要以上にモノをたくさん持つこともない。なにかを成し遂げる必要もなく、普通で十分。
思い通りにコントロールしてなにかを得ようとすれば関係性が崩れ、十中八九失敗に終わる。
純粋な創造欲と心地の良い静けさだけが残る。マズローでいう6段階目の自己超越欲求、高原経験というのか。
実際、山を登ることはこの体験に似ている。山に登れば、承認欲求なんて小さなものは消えさり結果もついてくる。これはサーフィンにもない登山の魅力の一つ。
言動に大義名分があるか常に考えると、抽象度が上がり、うまくいく可能性がさらに高くなる。
他人と比べて優越感や劣等感を感じる心や、誰かの目を気にした選択はすべて排除する。
表層的に自身の欲望を満たす以外に、大義名分があれば、時間かかっても信用を得て、いい結果が生まれる。
道徳なき経済は罪悪であり
経済なき道徳は寝言である。
名言。