森暮らしの家

長野、川上村に住む田渕さんの森暮らしの家。自然一体の指南書。生活とはこういうこというのでしょうね。

たくさんの幸せなこと、悲しいことが沢山あるけれど、俯瞰すればこの世はきっと良いもの悪いもなく、何をどう受け止めるかによりその人生の意味付が出来上がるんでしょう。

今はニュースを見てただ心が痛い。自分は何ができるのか考えたいと思う。

創作は魂を育む

自立で生きる気概を身につける。土を使った創作を集中的に学び、2人の仲間と作った素材を元においしいものを完成させる。長い道のりになるだろうけど、1、2年で完成させよ。

Mid Length Love

7‘代のVIDEOを見て良いイメージを描く。

5年前、サーフィンが上手くなりたくて鎌倉に引越した時も、ライアン・バーチがv.bowlsに乗るモノクロ動画を、擦り切れるほど見てイメージしていた。なかなか上達しないスラスターで軽い挫折感を味わっていた時、先輩からミッドレングスを教えてもらい、本当の楽しさを知った。

その時と同じ感覚だ。楽しみがあるっていい。その瞬間生きてる事を実感する。

客観性

抽象度を高く持つことで見えてくる様々なこと。こだわりを売ること、モノではなくストーリーを売れなんて、数年前に話題に上がったけれど、それもエゴで過去の産物で、なんだかんだ他人はそれすら気にしていないのではないか。

プラニングやデザインの視点から見ても、客観視している人や企業は、こだわりを自ら表現していない。黙って人間性とセンスを磨いている。伝わってくる。周りが売ってくれる。第三者の立場になって広めたいと思うモノなら、自然と広がっていく。

僕らの仕事は、それらをわかりやすくまとめ伝えること。でも、客観視できていないものも中にはある。それは売れても一瞬で、夏の通り雨のように去っていく。それは失敗はなく経験だから無駄にはならないけれど。

売れなければ無いことと一緒になってしまうから、作りたいもの作り、そして長く継続するにはどうすればいいか。プランナーもデザイナーも生産者もみんなが「思いやる=客観視」することで、そのモノやサービス、方法を見定められる素直さが重要になってくる。

簡単ではない。それらの能力をうまく使うには、慎ましく、自分と向き合う他にない。ブッとい商売をする上での資質かもしれない。

那須岳三座

福島の実家へ行ったついでに那須岳登った。
茶臼、朝日岳までの山行。
三本槍までは体力がもたなかった。

二日酔い明けとは言え
この程度の距離でヘロっていては
カラパタールは夢のまた夢。

細くて筋肉がなさそうな老若男女でも
健脚で余裕な人もいる。
単独行のおばちゃんの只者ならぬオーラ。

年齢は関係ない。
人間は量より質。経験の数と内容。
登山とは奥深い自然遊びか。

北の国から

‘87初恋。人間ドラマの宝物。
世界共通のこと。
何回見てもぐっとくる。

時代や文化が変わっても
原理が変わらないものもあることを
改めて考えることになりました。

北の国から


Good bye

雨滴る東京タワー。
気付けば18年振り。

その時から積み重ねた時間は
ちゃんと今の自分に生きている。

色々あったな。
ほとんど憶えてないけれど。

Tateshina village

平地歩けば30分程度の距離なのに、傾斜と岩がザレつくだけで5倍は時間がかかる。軽いスクワットを7200回はしただろうか。下りがキツイ。すれ違う人の小話で助けられる。

麓の八ヶ岳は蓼科は観光地でもあり、別荘地の品の良い気があたりを包んでいる。流行りのあおり運転なんて皆無だ。過剰な自己主張をする人がいない。住民も観光客も見ていると余裕が垣間見れる。

収穫前の黄金色に輝く稲穂、蕎麦の可愛らしい白い花がユラユラと気持ちよさそうに風に吹かれている。鹿の親子も民家の庭で食事をする。人も動物もそれぞれ守るものは守りながら共存している。ここはそういう土地なんだ。

コミュニティ

自分の大切な人へすることを
必要としている人にしてあげましょう。
自分の子供にすることを
他人の子供にもしてあげましょう。

これって昔人からよく聞いた言葉で
人間社会の基礎だと
台風一過の後、大変な状況でも通勤する
行列をみて痛烈に感じます。

持つものも、持たざるものも
スレスレの所で生きている時代だから
色んな人に寛容でいましょうと。
過剰な無理をしなくたって巡っていくはずだから。

その目的が人を幸せにするかに
意識を向けることが重要で、
その上、好きなことするからには
楽をしちゃいけないんだなと。

自分のものさしとその質が問われる世の中に
ますますなりそうです。