価値観というのは否定するために存在するのではなく、共感するためあるんじゃないのかな。
今回のオリンピックの開会式で過去にしたことが問題になり辞退した氏の人間性を、ある音楽家がラジオで言及していた。それも25年前の音源。別の雑誌でも他のアーティストを批判していたようで、何かいきさつや編集があったとしても、ただの陰湿な雰囲気がただようネガティブなモノだということは否めない。
人が精魂生み出したものを、自分の価値観に合わないからと否定したり、嘲笑する人間は、自分に自信がなく、他人とは愚か自分とも戦ったことのない腰抜けだったりする。癖のようにドーパミンを放出し、目をバッキバキにしながらネガティヴを呟くことはダークネス以外になく、まさに二軍の動き。個性を重んじる割には、みんなと同じファッションをして同じ音楽を聴いている。
世界は目に見えることも見えないことも更に分断がすすみ、品と礼節が命綱のように作用しているように見えるのは私だけだろうか。