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AWAKE Posts

神戸のすき焼き

残り少ない鎌倉での生活。夫婦で神戸式のすき焼きを御馳走になりに伺った。ぴかぴかの新築の家に、4、50年は使ってあろう、ちゃぶ台が静かに僕たちを出迎えてくれた。

牛脂をひき、赤身の肉を乗せ、酒で柔らかくしたところで、砂糖と醤油で味を整える極めてシンプルな料理方だが、これがまあ絶品。あまじょっぱさが堪らない。満足感で他が食べれないほど。肉を食べるための理に適った調理法だ。

おんとし85歳、人生を謳歌してきた。運が良かっただけなんて謙遜するが、運も実力のうちというのはこの方を見て正しいと思った。

戦前戦後、なんでも自分達でやってきたから、自分でやる事が基本だし、それだけの経験や知識に裏づけされた地頭の良さが話しから伝わってくる。食事に対してもとても丁寧だった。

現役時代珍しかった女性カメラマンだった奥様も関西のりもあって明るく、写真の話になると真剣だ。ぶっとい芯が通った人でないとあのオーラはでない。

歴史から料理まで勉強になった。かっこつけていてはいけない。俺たちもしっかり地に足をつけ、世の中が良くなるようにやるべきことをやろう。

米やめました

長野への引越しまでカウントダウン。来年1月5日に鎌倉を出る。仕事に集中しながら、本を読み、わずかばかりの人に会いに行く日々。

いよいよ玄米すら食べなくなった。白米は食べたいと思わない。食べなくなってから調子はすこぶる良い。マインドコントロールではなく、純粋な実感だ。

米は、精製すれば栄養価も0に等しい。江戸わずらいなんて白米が原因で起きた死に至る疾患が流行り、明治になっても国家を揺るがす大問題だったにも関わらず、150年以上経過してもまだ主食として食べているのかと思えば不思議である。人類の発展には多大な影響を与えてきたと思うけれど、せめて玄米にした方が体の為だ。

陰と陽。美味しいもの裏には悪魔がいて、魂を売った分だけ命が取られてしまう。エゴイズムであり、欲求にまみれていたのだ。それに気付いた時、目が覚める思いだった。

Detox

内臓脂肪や体重は、山で脚への負担に直結するため、今年の5月から東洋医学から食事療法など何十冊か本を読んで学んでいた。試した中でも体感を感じたのは、高城さんの本にあったデトックス方法。マイコトキシンというカビ毒が脂肪に根をはり燃焼しなくなるという話。

不調の原因となる毒と蓄積した水銀、鉛、カドミウムなどの重金属含め、クレイとクロレラで除去できるらしく、まさかと思いながら体感がある。エンジンを掃除して、吹け上がり良くなったイメージに近く、なんとなく体がだるいなぁなんてことがなくなり、まず疲れない。

そして、片鼻呼吸(ナーディ・ショーダナ)は、とても脳がクリアになり、深い集中力が続く。外部からのストレスには、モリンガと和漢方の御岳百草丸がよく効く。スーパーフードと呼吸法でアップもダウンもなく、冷静に事に当たれることは僕にとっては幸せだ。

花器

境道一さんの花器。1000°以上の高温で、長い時は2週間と忘れるぐらい長時間焼き続ける焼締。燃えた土の表情がたまらなくなった。エネルギーとモダンさを感じる。焼締の器というのは、一つ出すだけでその場が締まる。

パートナーである境知子さんの作る焼締の土瓶も手に入れたい。久しぶりに体の深部がリズムを打つ。来年は香川にある工房へ伺いたい。

いくらあっても足りない

店舗の買付でまとまらずにモヤモヤしていた。ま、焦っても仕方ないと、何も見ず、何も買わず、流れに身を任せていると、力が抜けて感性に向き合えるようになるのか、不意としたきっかけで、納得の作家作品と出会いはじめる。創造的で特長的、そして実用的なもの。急がば回れだ。

器だけで、いくらっても足りないなぁ。

それより、鎌倉で住んでから仲良くなった近所のおばちゃん達になにかプレゼントしたいなぁ。あっという間の5年だったけれど、長野に行くことを話すと、寂しがって、応援してくれている。

IQ

IQってどうなんだろう。良くても悪くても良い人生には関係ないような。この世に生を受ける時、たまたま選択した肉体のスペックがそうだっただけで、その人の生き方やモノサシがどこにあるかを問う方が大事で、それ以前に人として礼節がはるかに重要だと僕は思うけれど。

多様性の中で色んな人と付き合うことは簡単ではないけれど、最後は自己責任という都合のよい言葉で片付けるより、甲乙つけずに父性や母性をもって幸せをつなげていく社会にしようと気を持つ方が、最終局面で愛に溢れる気がする。

https://mikuriya-tetsu.com/intellectual/3135/

あなたは読んでどう思うか。思った率直な感想が、今いる世界を作っているということ。

Flow&Soul

やっぱりヨーロッパのセンスや芸術はいいですね。いつかオーダーしてみたい。

http://flowandsoul.be/

shaun lzzy 2018

リリシスト

2002年SHINGO2のLuv(Sic.)Pt.2以降、距離をおいたJazzy Hip Hopだけど、日曜の夜たまたまラジオで流れたshaun lzzy – 2018の流れるようなミニマルトラックが心地よかった。当時は何もわからなかったけれど、Luv sicのリリック、翻訳をみるといい譜ですね。

セラヴィ(これが人生さ)、と言うように
愛ははっきりと全ての歌に続きがある。
名前以外の全てには移りゆく
昔のように新鮮に、毎日を生きるんだ。

V.Bowls

乗りたい時にどこにもない。

Down Beat Ruler

Carlton & the shoes – give me little more

DJも曲も最高ですね。この時の都会暮らしは、毎日仲間とスケートをして、飲んで、踊りっぱなしだった。

同時に、沢山の人と出会い、これだけスタート地点から違う人種がいるんだと衝撃を受けつつも、自分の創造性を貫いている人を見て、類稀な感性とスキルがあっても必ず成功するとは限らない社会の厳しさというか、改めて人と違う生き方の大変さ思い知らされた20代。

最後は、楽しんでいるかどうか、自分にも他人にも誠実でいるかで未来が変わってくるのかな。

森暮らしの家

長野、川上村に住む田渕さんの森暮らしの家。自然一体の指南書。生活とはこういうこというのでしょうね。

たくさんの幸せなこと、悲しいことが沢山あるけれど、俯瞰すればこの世はきっと良いもの悪いもなく、何をどう受け止めるかによりその人生の意味付が出来上がるんでしょう。

今はニュースを見てただ心が痛い。自分は何ができるのか考えたいと思う。

創作は魂を育む

自立で生きる気概を身につける。土を使った創作を集中的に学び、2人の仲間と作った素材を元においしいものを完成させる。長い道のりになるだろうけど、1、2年で完成させよ。

Mid Length Love

7‘代のVIDEOを見て良いイメージを描く。

5年前、サーフィンが上手くなりたくて鎌倉に引越した時も、ライアン・バーチがv.bowlsに乗るモノクロ動画を擦り切れるほど見てイメージしていた。

なかなか上達しないスラスターで軽い挫折感を味わっていた時、先輩からミッドレングスを教えてもらい、本当の楽しさを知った。

その時と同じ感覚だ。楽しみがあるっていい。その瞬間生きてる事を実感する。

客観性

抽象度を高く持つことで見えてくる様々なこと。こだわりを売ること、モノではなくストーリーを売れなんて、数年前に話題に上がったけれど、それもエゴで過去の産物で、なんだかんだ他人はそれすら気にしていないのではないか。

プラニングやデザインの視点から見ても、客観視している人や企業は、こだわりを自ら表現していない。黙って人間性とセンスを磨いている。伝わってくる。周りが売ってくれる。第三者の立場になって広めたいと思うモノなら、自然と広がっていく。

僕らの仕事は、それらをわかりやすくまとめ伝えること。でも、客観視できていないものも中にはある。それは売れても一瞬で、夏の通り雨のように去っていく。それは失敗はなく経験だから無駄にはならないけれど。

売れなければ無いことと一緒になってしまうから、作りたいもの作り、そして長く継続するにはどうすればいいか。プランナーもデザイナーも生産者もみんなが「思いやる=客観視」することで、そのモノやサービス、方法を見定められる素直さが重要になってくる。

簡単ではない。それらの能力をうまく使うには、慎ましく、自分と向き合う他にない。ブッとい商売をする上での資質かもしれない。

那須岳三座

福島の実家へ行ったついでに那須岳登った。
茶臼、朝日岳までの山行。
三本槍までは体力がもたなかった。

二日酔い明けとは言え
この程度の距離でヘロっていては
カラパタールは夢のまた夢。

細くて筋肉がなさそうな老若男女でも
健脚で余裕な人もいる。
単独行のおばちゃんの只者ならぬオーラ。

年齢は関係ない。
人間は量より質。経験の数と内容。
登山とは奥深い自然遊びか。